本年度の社会奉仕部門のテーマは「いのち尊し」です。最近の深刻な人間軽視の社会風潮に鑑み、人の命、人の尊厳を取り戻すことを重点目標とし、より良い社会の実現に向かっての奉仕活動に取り組んでいます。
その方針から去る2001年11月10日(土)、午後2時より2時間余りにわたり、アバンティホールにおいて公開シンポジュームを開催いたしました。当日はパネラーとして山折哲雄先生、河野博臣先生、当クラブの会員木村光先生、又コーディネーターとして田代俊孝先生をお招きしました。開会のことばに続き岡田会長より、最近の世相、命軽視の状況を憂い、社会の為に活かすことへの期待を述べられ、西村副会長より先生方の略歴紹介がありました。先ず基調講演に立たれた、山折先生は、宗教・民族学の見地からB級戦犯として処刑された、「聞けわだ罪の声」の実例を引用されて、日本人がいかに生き、いかに死することが短歌的、叙情的に当時行われていたこと。又西行法師の「花のもと春死なん」と吉野山に散っていった、断食の死。西行の心もちが、現代の我々に受け入れることが出来るのか、と格調高くお話ししていただきました。河野先生には、子供の踏切事故の検死のご体験から、又ご自分の癌を病まれた経験をとおして、死の臨床について末期患者の精神的ケアーの問題を、自ら主催されている「日本死の臨床研究会」の取組みのお話しがありました。あとのディスカッションではご自身の擬死体験や、生前葬の暗黒の入棺状況をユーモラスにお話しいただきました。
木村先生にはサイエンスの立場から、臓器移植の問題、他人の臓器をあてにして生きてゆける時代への移行、臓器の売買、臓器の提供が定着するならば、パーツや組合せの状況が生まれて来る将来の予想。又人や動物、バクテリア及び植物などは同種の遺伝因子をもっていて、生命も個体で考えると儚ない期間であるが、遺伝因子レベルでは36億年の長きにわたるなど興味深いお話しが続きました。講演に引続いてのディスカッションの様子や、聴衆の皆様の中から2つの質問がありました、ひとつは安楽死について、2つ目は命はいつ始まるのでしょう。先生方はお立場や専門分野からいろいろとご意見が述べられました。これらの語録は、今春刊行配布いたします冊子で詳しくお読みいただけたら幸いです。コーディネーターの田代先生は、命は大自然の中で育まれ、自然の中に帰するものではないでしょうか、と結んでおられました。シンポジューム開催にあたり携っていただいた皆様に深く感謝申し上げます。
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