京都南ロータリークラブ
 
 
 
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 週 報
 No.01
No24
Back to 1954-2019
「第1回全日本自動車ショー」が開催される

京都南ロータリークラブが誕生した1954年の4月20日から29日まで、東京日比谷公園にて、「第1回全日本自動車ショー」(1964年より「東京モーターショー」に名称変更)が開催された。当時、クルマは庶民にとって「夢のまた夢」でしかなかった。展示車両267台を揃えたが、乗用車は17台。トラックが主体で展示車の多くはトラック・オートバイなどであった。それでも10日間の会期中に54万7000人の来場者を集めた。
 No.02
No24
太陽族
ロータリー創立50周年記念植樹が宇治平等院河畔で行われた、1955年。作家石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞受賞。映画『太陽の季節』には、作者の石原慎太郎と実弟・石原裕次郎が俳優として登場。舞台となった湘南海岸には髪型は、後頭部と脇は刈り上げ、前髪を短く垂らす「慎太郎刈り」、そして、サングラスにアロハシャツという姿の「太陽族」の若者であふれた。
画像クレジット  (c)kyodonews
 No.03
No24
国産ロケット第1号発射成功
1957年(昭和32年)9月20日、秋田県道川海岸のロケットセンターから国産ロケットが初めて打ち上げられ、実験が成功した。 実験を行ったのは糸川英夫博士を中心にした東大生産技術研究所で、観測用ロケット・カッパー4C型1号機は、高度約4万5000mに到達したとき、搭載のガイガーカウンターで宇宙線を観測した。ロケットは、全長5.93m、重量378kgだった。
画像クレジット  (c)kyodonews
 No.04
No24
東京タワー
1958(昭和33)年12月23日、在京テレビ局の送信アンテナを集約する「東京タワー」が東京・芝公園近くに完成した。1年半の工期で総工費28億円、鋼材4000トンを使った。高さ333mはパリのエッフェル塔をしのぎ、当時世界一を誇った。テレビ時代の到来を象徴。高さ150mと250mの2ヵ所に展望台があり、東京の新名所となった。下には都電が走り、遠くに国会議事堂の姿まで見える。
写真:建設中の東京タワー1958年7月23日撮影
(c)共同通信社
 No.05
No24
皇太子殿下、美智子さま結婚
1959年04月10日、皇太子殿下(現天皇)と正田英三郎・日清製粉社長の長女美智子さんとの結婚の儀が皇居内の賢所で執り行われた。皇居から新居、東宮仮御所までの馬車列によるご成婚パレードでは50万人以上が沿道を埋めつくして祝福。民放テレビの開局もこれに合わせて相次ぎ、テレビの受信契約は200万台を突破した。テレビ中継で見た人は1500万人に上った
皇太子ご夫妻がオープン馬車でパレード (c)共同通信社
 No.06
No24
東海道新幹線開業
1964年2月6日、京都南ロータリークラブでは第500回記念例会が行われ、3月19日には京都ステーションホテルにて創立10周年記念式典・晩餐会が催された。

そのような京都南ロータリークラブの節目の年、1964年の10月1日には東海道新幹線が開業。写真は、10月1日、午前6時、盛大な見送りを受けて東京駅9番線ホームを出発する営業第1号車「ひかり1号」。ほぼ定刻の午前10時に新大阪駅に到着したそうだ。

(c)朝日新聞社 東京駅を発車する営業第1番列車「ひかり1号」
 No.07
No24
ビートルズ来日
1966年6月29日ビートルズが来日。台風の影響で、飛行機の到着が遅れ、彼らが日本に到着したのは、明け方の午前3時39分であった。世界各地でのビートルズ騒動を伝え聞いていた日本の警察は、厳重な警備体制を敷いた。 空港での混乱に備え、ヘリコプターを3機用意し、横田基地に緊急着陸の手はずを整え、羽田空港とホテル、そして沿道警備に警官3万人を動員するほどであった。ビートルズの日本でのコンサートは、3日間の昼・夜公演で、計5回行われた。

(c)共同通信社
 No.08
No24
東名高速道路全線開通
1962年(昭和37年)5月31日から 東京IC - 静岡IC間より工事に着手した東名高速道路。1968年4月から飛び石開通していたが、最後の未開通部分、大井松田(神奈川県)-御殿場(静岡県)間25・8キロが1969年5月26日開通。これにより、東名高速道路は東京都世田谷区から愛知県小牧市までの346・7キロが全線開通した。

写真:東名高速道路全線開通を祝って作られたアーチ=足柄サービスエリア付近
(c)共同通信社
 No.09
No24
歩行者天国
休日などに道路の車両通行を禁止する「歩行者天国」。1970(昭和45)年8月2日(日曜日)、都心の銀座、新宿、池袋、浅草の4地区などで日本で初めての本格的な歩行者天国がスタートした。今は歩行者天国は普通の光景だが、当時はかなりのインパクトだったようで、都内では銀座の23万人など計約80万人の人出があったそうだ。

多くの人でにぎわう銀座の歩行者天国、東京・銀座の銀座通り
(c)共同通信社
 No.10
No24
環境庁が設置
1971年5月31日環境庁設置法が公布され、7月1日総理府の外局として、公害の防止、自然環境の保護及び整備その他環境の保全を図り、国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するため、環境の保全に関する行政を総合的に推進することを主要な任務として環境庁が設置された。その後、2001年の中央省庁再編により,地球環境保全,公害防止,自然環境の保護および整備その他の環境の保全をはかることを任務とし環境庁から環境省へ昇格した。

(c)kyodonews
No.11
No24
沖縄復帰
京都南ロータリークラブより田中 豊会員が初めて第365地区ガバナーに就任された1972年。 1952年に発効した対日講和条約によってアメリカ合衆国の統治下に置かれた沖縄は,沖縄返還協定が調印された翌 1972年5月15日,27年ぶりに日本に返還された。 1965年佐藤栄作内閣総理大臣の沖縄訪問を経て,1969年11月2日のリチャード・ミルハウス・ニクソン大統領との会議で, 1972年返還を約した日米共同声明が発表された。しかし、基地問題のほか,日米共同声明における有事の際の核持ち込みに関する密約疑惑や,沖縄の経済的自立など,多くの問題が残っている。

沖縄復帰 国内線復帰第1便が出発(撮影場所=東京・羽田空港) (c)朝日新聞社
 No.12
No24
エリザベス女王来日
1975年5月7日から12日まで、エリザベス女王&フィリップ殿下夫妻が約100年にわたる日英友好史上で英国君主初の日本公式訪問をされました。 英国女王の来日で日本は爆発的な「クィーン・ブーム」が起こり、来日中約78万人の国民が盛大な歓迎を行い、なかでも5月9日都内で行われたオープンカーによるパレードには、交通スト中にもかかわらず約11万人が集まり、日英両国国旗を打ち振って女王を歓迎しました。 また、9月11日には、第365地区 千宗室ガバナー公式訪問例会が開催されました。

(c)kyodonews
にこやかに沿道の人たちに手を振るエリザベス女王ご夫妻
 No.13
No24
新東京国際空港開港
日本(東京)で2回目のRI国際大会が開催された1978年(昭和53年)。その年の5月20日、千葉県成田市に新東京国際空港(現:成田国際空港)が開港した。 1966年(昭和41年)7月に千葉県成田市三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港であった。当初、土地買収に伴う移転や騒音問題などにより、地元住民からの強い反発があり、反対運動が展開された。この反対派と機動隊との間で激突が生じ、死者が出る騒動も起きた。 2004年(平成16年)4月1日に民営化されたのに伴い、空港の正式名称は「新東京国際空港」から「成田国際空港」に改称された。

成田空港開港 成田の新東京国際空港22番スポットに横付けされた旅客第1番機の日航DC8 (c)kyodonews
No.14
No24
東京サミット開催
1979年3月11日 京都南ロータリークラブ創立25周年記念式典が、京都国際会館Aホールで開催をされました。 同年の6月28日から29日まで、東京都港区赤坂の迎賓館で、第5回先進国首脳会議(通称は東京サミット)が東京都港区赤坂の迎賓館で開催されました。これが初めて日本で開催されたサミットです。写真は庭に勢ぞろいした各国首脳。左からジェンキンズEC委員長、クラーク・カナダ首相、カーター米大統領、大平正芳首相、シュミット・西ドイツ首相、ジスカールデスタン・フランス大統領、サッチャー英首相、アンドレオッチ・イタリア首相
東京サミット始まる、勢ぞろいした各国首脳=東京・元赤坂の迎賓館

(c)kyodonews
No.15
No24
京都市地下鉄 開業
1968年に建設計画がうちだされ,1974年の起工式から6年6ヶ月の工事をへて1981年5月29日に市営地下鉄烏丸線(北大路~京都間,6.6キロメートル)を開業しました。 1988年6月には京都~竹田間(3.4キロメートル)が開通,同年8月には近鉄京都線との相互直通運転も始まり、1990年10月には北大路~北山間(1.2キロメートル)が開通し烏丸線の当初計画区間11.1キロメートルすべてが完成,その後の平成9年6月に北山~国際会館間が開通して,烏丸線が現在のかたちとなりました。その後、1997年10月には市営地下鉄東西線(二条~醍醐)が開業し, 2004年11月に東西線の醍醐~六地蔵間,2008年1月に東西線の二条~太秦天神川間がそれぞれ延伸しました。現在では、2017年4月から2018年3月までの1年間で、地下鉄利用者数は、38万7,000人となっています。

初乗りの期待とともに乗り込む出勤、登校の乗客たち
1981年5月29日京都新聞社提供
No.16
No24
阪神タイガース 球団史上初の日本一
1985年シーズン開幕当初はファンの間でも優勝への期待は薄かった。しかし主に1番・真弓、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線(「第二次ダイナマイト打線」)が大活躍。4月17日の対巨人戦(甲子園球場)ではバース、掛布、岡田が巨人の先発の槙原寛己からバックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。この年は最終的に本塁打セリーグ記録を更新する219本塁打を記録。10月16日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮)に引き分けて、21年ぶりのリーグ優勝が決定。西武との日本シリーズは4勝2敗で勝利、1リーグ時代から約38年ぶり、2リーグ制になってから初の日本一達成となる。
阪神タイガースが日本一 歓喜するナインに胴上げされる吉田監督=1985年11月2日
(c)kyodonews
No.17
No24
1960年 11月8日 アメリカ大統領選挙
1960年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党候補として指名を受け、対立候補の共和党のリチャード・ニクソンと歴史的な接戦の末、わずかな票差で破り11月8日合衆国大統領に当選、翌1961年1月20日に第35代アメリカ合衆国大統領に就任した。大統領就任時の年齢は43歳で、アメリカ合衆国の歴史上、選挙で選ばれた大統領としては最も若い大統領であった。しかし、1963年11月22日、テキサス州ダラスで遊説のため市内をパレード中に暗殺された。犯人として捕らえられたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、わずか2日後に射殺された。ケネディ暗殺事件は、その衝撃と陰謀説など数々の謎に包まれて、歴史に残る事件となった。 また、1988年11月8日のアメリカ合衆国大統領選挙では、ジョージ・H・W・ブッシュが初当選した。

(c)Polaris/amanaimages
No.18
No24
11月22日 いい夫婦の日
「いい夫婦の日」は1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)によって提唱され、その後、1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会を設立し普及を推進しており、2000年より、毎年、広く一般からの投票を基に、理想の夫婦・カップルにふさわしい「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を選出しています。2000年代に入り、一般にも認知されるようになり、11月22日に入籍するカップルも増えているそうです。 20回目を迎える本年の「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー2018」は、陣内孝則・陣内恵理子ご夫妻と庄司智春・藤本美貴ご夫妻に決定しました。

会員の皆さまも、本日は早めにご帰宅をされて、奥さまとご一緒に過ごされてはいかがでしょうか。
No.19
No24
12月1日 COP3開催
温室効果ガス排出規制に関する国際的な合意形成を主な目的とした国際会議である、第3回気候変動枠組条約締約国会議が、1997年12月1日より、国立京都国際会館で開催された。気候変動枠組条約の発効以来、毎年開かれている締約国会議(COP)の3回目の会合であり、COP3(コップスリー)とも呼ばれる。この会議において、先進国に温室効果ガス排出削減目標を課す京都議定書が採択された。

(c)朝日新聞社
各国代表が集まり始まった温暖化防止京都会議 1997年12月01日
No.20
No24
12月6日 音の日
1877年12月6日、発明王トーマス・エジソンが蓄音機を世に発表しました。これに由来し、音楽、オーディオ、レコードなど「音」の文化について多くの人々に認識を深めてもらうために、日本オーディオ協会が日本レコード協会、などと協調して1994年に12月6日を「音の日」と定められました。録音方法は筒にロウを塗ったものに溝を刻むもので、溝を削れば繰り返し録音が可能でした。 ちなみに、世界で初めて録音された音声は、エジソンの肉声で「メリーさんの羊」を歌ったもの、と言われています。

(c) SABURO NOJIMA/SEBUN PHOTO
エジソン蝋管式蓄音器
No.21
No24 No24 No24
1994年 12月15日 「古都京都の文化財」が世界遺産に登録
二条城・醍醐寺・清水寺・平等院などの「古都京都の文化財」が日本で5件目の世界遺産に登録されました。古都京都の文化財は、京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件から成るユネスコの世界遺産リスト登録物件です。京都は日本の文化的伝統の創出において決定的な役割を果たし、特に庭園の場合において、それは19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えた。また、 京都の現存文化財における建築と庭園設計の集積は前近代における日本の物質文化のこの側面に関する最高の表現であること、などが世界遺産登録基準における基準を満たしたと見なされ、登録されました。

写真は上から、三宝院庭園、三宝院_唐門、五重塔と桜_横
画像提供 大本山 醍醐寺
No.22
No24
1968年12月21日 アポロ8号
アメリカ合衆国のアポロ計画における二度目の有人宇宙飛行であるアポロ8号が、1968年12月21日に発射され、地球周回軌道を離れて月を周回し、再び安全に地球に戻ってきた初の宇宙船となった。 8号は月に到達するまで3日かかった。飛行士たちが搭乗した司令船は、1968年12月27日に北太平洋に着水した。三人の飛行士は帰還後タイム紙により、「1968年を代表する男たち (Men of the Year)」に選ばれた。

(c)Science Photo Library
No.23
No24
1989年 12月29日日経平均株価、史上最高値
1989年から始まった平成の時代。資産価格の上昇と好景気などを背景に株価はうなぎ登りとなり、日経平均株価は1989年12月29日に史上最高値3万8915円を付けました。いわゆるバブル時代の絶頂期です。この頃は、夜間なかなかつかまらないタクシーを止めるために1万円札を振る光景がよく見られたというほど、景気が良い時代でした。

(c)kyodonews
恒例の手締めで平成元年の取引を終えた東京証券取引所
1989年12月29日午前11時5分
No.24
No24
1989年1月8日 平成の始まり
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御され、皇太子明仁親王が即位されました(今上天皇)。これを受け、1989年(昭和64年)1月7日に元号法に基づき改元の政令が出され、その翌日を「平成元年1月8日」とすることにより改元がなされました。元号法によって改元された最初の元号です。なお崩御を前提とした手続きは事前に行なえないため、改元の際は崩御当日に正式な手続きに入り、翌日に改元が行われました。本年の4月1日には新元号が閣議決定され、平成31年4月30日が平成最後の日となります。

「平成」の新元号を発表する小渕恵三官房長官
(c)朝日新聞社
No.25
No24
1995年1月17日 阪神・淡路大震災
1995年1月17日5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3[注釈 1] の兵庫県南部地震が発生した。 近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達し、戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。

(c)kyodonews
倒壊した阪神高速道路上のトラックの撤去作業をする大型クレーン
No.26
No24
1984年1月24日 Macintosh登場
1984(昭和59)年1月24日、Appleコンピュータが、「個人ユーザーの使い勝手を重視した設計思想」を基に独自の使い勝手(インターフェイス)を搭載した「Macintosh 128K」を発売しました。当初は、価格2,495ドル(約29万円)。外付けフロッピーディスクで、軽作業には効率的に作動したものの、大きなアプリケーションにはメモリ不足が懸念され、また、フロッピーディスクを度々入れ替える必要性があるなど、実用的には多くの問題が残った。が、斬新なインターフェイスを発案するなど、以後発売される「Macintosh(Mac)」製品に大きな足跡を残した商品となりました。

(c)MPTV
No.27
No24
1895年2月1日 日本発の路面電車
1895(明治28)年2月1日、京都で日本初の路面電車が営業を開始しました。塩小路東洞院~伏見町下油掛間の約6.4kmで、時速は10km/h程度だったそうです。また、「電車の先走り」と呼ばれた小学校を卒業したばかりの少年を運転手の側に配置し、「電車が来まっせ!危のうおまっせ!」と叫びながら電車が通ることを知らせていたり、停車の度に前後の安全を確認などを行っていたそうです。

京都市電開業当時の17号車
No.28
No24
1987年2月9日 NTT上場
「政府が売り出す株で損をするはずがない」。1987年2月に政府保有株が1株119万7千円で売り出されると、個人投資家殺到しました。初日の2月9日は買いが殺到して値付かず。 翌10日の160万円が初値となりました。その後も買いが継続して、3月4日には株価300万円に到達。4月22日には、上場来の高値となる318万円を記録しました。個人株主数はバブル末期に160万人を超えました。

(c)kyodonews
初値160万円を表示するNTT株の掲示板=東京証券取引所
No.29
No24
1990年2月14日 ローリング・ストーンズ初来日
1990年2月14日、ザ・ローリング・ストーンズは初めての日本公演を東京ドームで行った。当時の日本はまさにバブル全盛期で、5万人の収容を誇る東京ドームでの10回連続講演は、ファンの数からしたら無謀とも思われたが、50万枚のチケットは発売と同時に完売しました。テレビや新聞、雑誌では連日のように特集が組まれ、日本はストーンズ一色でした。

(c)朝日新聞社
記者会見にて
No.30
No24
2月23日 ロータリー誕生の日
1905年2月23日、アメリカ・シカゴで青年弁護士ポール・ハリスが、友人3人とともに世界初のロータリークラブ(シカゴ・ロータリークラブ)を設立しました。さまざまな分野の職業人が集まって知恵を寄せ合い、生涯にわたる友情を培うことのできる場をつくることが、ハリスの夢でした。「Rotary」という名は、当時、各メンバーの職場を順番にミーティング場所として使っていたことに由来します。

©rotary international
「ロータリーが私たちにとって何を意味するにせよ、世界は、その活動成果によってロータリーを知るのです」 ロータリー創設者:ポール・ハリス
No.31
No24
2006年3月3日
2006年3月3日、野球の世界一を決定する第一回「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」が開催された。 第一ラウンド、第二ラウンドの各グループ総当り戦で、上位各2チームが準決勝を、その勝者が決勝を行うトーナメント戦で、決勝は日本 vs キューバとなった。 同年3月20日に行われた決勝戦では、10-6で日本が勝利し、初代WBC王者になった。
No.32
No24
1967年3月6日 世界一周西回り路線が営業を開始
1967年3月6日 日本航空の世界一周西回り路線が営業を開始しました。それまでは、日米航空協定により、日本の航空会社は世界一周路線を持てませんでした。記念すべき第一便である西周り便は1967年3月6日午後0時30分に羽田空港を出発しました。当時は世界一周できる航空会社は少なく、日本は英国海外航空に次いでの2番目の実現となりました。
(c)朝日新聞社
日本航空の「世界一周線」西回り第1便(日航461便)。特設アーチが設けられました。
No.33
No24

No24
1954年3月11日 京都南ロータリークラブ創立総会開催
1954年3月11日に丸物百貨店中2階グリルに於いて、京都南ロータリークラブ創立総会が開催され、3月19日には国際ロータリーより京都南ロータリークラブが承認されました。
これは、日本で121番目、京都府下では4番目、京都市内では京都ロータリークラブに次ぐ2番目です。
1954年11月8日には、京都南ロータリークラブ認証状伝達式(チャーターナイト)が行われました。式典は黄檗山万福寺で行われ、伝達式後境内で茶摘みの踊りがあり、その後、バスで醍醐三宝院への観光。夜には都ホテルで披露パーティーが行われました。

1枚目:認証状伝達式で挨拶をされる今田英作初代京都南ロータリークラブ会長
2枚目:認証状
No.34
No24

1979年3月28日 世界初の原発事故
1979年3月28日、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で、大規模かつ重大な原子力発電事故が起こった。放出された放射性物質は、希ガスがほとんどであったのもあり、安全地域とされる人や動植物に大きな損害は出なかったものの、として、原子力発電への危険視が増す契機となりました。 世界で初めて原発事故が起きた3月28日は、原子炉や核への危険性を呼びかける意味で「スリーマイル島の日」として記念日のひとつに制定されています。

(c)朝日新聞社  現在のスリーマイル島原子力発電所
No.35
No24

1947年4月5日 第一回統一地方選挙
日本の民主化を進めていた連合国軍総司令部は、日本政府に対し、日本国憲法が施行される1947年5月3日より前に、住民の直接選挙による地方自治制度の導入を求め、そこで政府は、経費を節約し、地方自治への関心を高めるために、地方選挙を全国一斉に行うことにしました。1947年4月5日に第1回統一地方選挙行われ、それまでは天皇が任命していた都道府県知事、市区町村長、都道府県議会議員、市区町村議会議員が、20歳以上の男女全員が選挙権をもつ普通選挙で選出されました。因みに本年4月に行われる統一地方選挙は第19回です。

写真提供:朝日新聞社
「知事」「市長」と書かれた投票箱に投票する着物姿の婦人たち。戦後、参政権を獲得した女性たちが投票に訪れました。(1947年の第1回統一地方選挙か)
No.36
No24

1974年4月11日 ガッツポーズ
1974年4月11日、東京・日大講堂で行われた「ボクシングWBCライト級タイトルマッチ」で挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)にKO勝ちしました。そのときコーナーポストによじ登ってとったポーズを、マスコミが「ガッツポーズ」と表現しました。このポーズはそれ以前からありましたが、この時からガッツポーズと名付けられて日本中に広まりました。

(c)共同通信社
世界ライト級タイトルマッチ、ガッツ石松が8回KOで念願の王座に
No.37
No24

1963年4月25日 日本初の横断歩道橋完成
1963年4月25日 日本初の横断歩道橋が大阪駅前に完成しました。また、同年9月10日には東京・五反田駅前にも歩道橋が完成し、以後駅前を中心に多くの街で歩道橋が造られていくこととなりました。当時は高度経済成長期で、自動車の増加による交通事故が急増したことへの対策のひとつとして採られたのが歩道橋の整備がされたそうです。

©朝日新聞社

No.38
No24

5月9日はヨーロッパ・デー
1950年5月9日、フランス外相だったロベール・シューマン氏が、「石炭・鉄鋼をヨーロッパ各国で共同管理する欧州石炭鉄鋼共同体の創設」を提案し、EUの前身となる「欧州石炭鉄鋼共同体」が設立されるきっかけとなったことを受けて記念日に制定されました。

(C)ZUM

No.39
No24

1985年5月17日 男女雇用機会均等法
1985年5月17日「男女雇用機会均等法」が成立しました。正式名称は、 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」。性別による、仕事差別撤廃Ú男女均等な雇用機会Ú職場待遇などの確保を図るとともに、女性労働者の妊娠中及び出産後の健康の確保を図ることなども法律によって定められました。写真は男女雇用機会均等法成立の前月、防衛医科大学校に女子学生8人が初めて入校。女性自衛官の職域拡大のため門戸を開放しました。

(c)共同通信社
防衛医大に初の女子学生 医官めざし8人入校

No.40
No24

5月24日 ゴルフ場記念日
1903年5月24日、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンしたことにちなんで「ゴルフ場記念日」と制定されました。イギリスの貿易商アーサー・ヘスケス・グルームは日本の士族の娘と結婚して神戸に居を構えていたが、とりわけ六甲山の自然を愛し、その眺望の素晴らしさに山荘を建て、友人たちを誘って避暑地としていたグルームは、手鎌で草を刈り取るなどして3年間かけて仲間たちとゴルフ場を作りました。

(c)朝日新聞社
中央がクラブハウス。太平洋戦争中はジャガイモやチョウセンアサガオの畑になっていたが、敗戦で米軍が接収、ゴルフ場に戻しました。1957年8月10日、神戸市灘区六甲山町、朝日新聞社機から

No.41
No24

5月31日 2002FIFAワールドカップ開催
2002年5月31日から6月30日にかけて21世紀最初の2002 FIFAワールドカップが日本と大韓民国で開催されました。日本は決勝トーナメントへ進出したが1回戦で敗退。6月30日に横浜国際総合球技場で行われた決勝戦前には富士山がピッチに再現された。

(c)朝日新聞社


No.42
No24

6月7日 2,000試合連続出場記録
1986年6月7日、衣笠祥雄選手(広島東洋カープ 平安高校出身)が、対阪神タイガース戦で、日本プロ野球史上初となる2,000試合連続出場記録を達成した。この偉業は、17年間休まなかった男としても脚光を浴びました。その後連続出場記録は2,215試合まで伸び、「鉄人」の愛称を冠するまでに。また、国民栄誉賞を受賞し衣笠氏のつけていた背番号「3」は広島カープの永久欠番となっています。2018年には京都野球殿堂入りされました。

阪神対広島 2000試合連続出場を達成し花束をもらう衣笠祥雄選手=1986年6月7日=日刊スポーツ


No.43
No24

6月21日 国際ヨガの日
ヨガは身体と精神の統合を実現させるものであり、運動ということだけでなく、私たち自身と世界や自然の調和の感覚も結びつける側面もあるそうです。インドの首相ナレンドラ・モディは、国連総会において6月21日と定める理由について、これが北半球において最も日が長くなる夏至に(ほぼ)相当し、世界各地にこの日を特別な日とする考えが共有されているからだと述べ、2014年12月に行われた国連総会において全会一致で記念日に採用されたそうです。
(c)ZUMA Press

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6月27日 奇跡の人 誕生
「盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、 もっと悲しいことです。」など数多くの名言を残した、ヘレン・ケラーは1880年6月27日アメリカ国南部・アラバマ州で生まれました。生後19ヶ月で猩紅熱の為に目・耳・口が不自由になりましたが、家庭教師の厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて大学を卒業し、「奇跡の人」と呼ばれました。以後、世界各地で講演して盲唖者・身体障害者を励ます福祉活動に献身しました。
(C)朝日新聞
1948年、来日した三重苦の社会福祉運動家ヘレン・ケラーが昭和天皇夫妻と会見。贈られた花束を持つヘレン・ケラー
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