3月11日、創立45周年記念例会での大倉パスト会長と岩佐会長の対談を妙録しました。 [会長] 今、創立当時のいろいろなお話を頂戴いたしました。京都クラブからやんちゃ坊主というレッテルを貼られたクラブが、今217名です。こんなに大きなクラブになると予想されましたか。 [大倉] 思いませんでしたね。最初35名で、大きくならないでも、仲間だけで好きな事をやった方がいいという気風がありましたからね。たとえば毎月ね、休まずに出ると、コップを一つもらえるんですよ。割と、お金が潤沢でしたね。 [会長] 私はまだその当時は学生でしたが、初任給が五千円ぐらいかな。そうすると一万円の会費はやはり高額だったかもしれませんね。 [大倉] そうですね。食事もね、例会場だった丸物の社長の中林さんが非常に気を遣って頂いて、前日に味見されているんです。ある週が洋食だと翌週が和食で、そのためにね、京都クラブから南クラブでの和食の日には、メーキャップの人が相当来られました。 [会長] 私どものリーガ・ロイヤルさんも料理がおいしいという事で定評がございますね。6年前に朱雀クラブをチャーターしたんですが、チャーターメンバーを作るのが大変でして、42名で始まったんですけど、今やっと50人越えたところです。私どものクラブが35人から50人になるのに何年ぐらいかかりましたでしょうか。 [大倉] 記録持ってくる のを忘れましたけど、10年ちょっとたってからではないですかね。 |
対談される大倉パスト会長と岩佐会長 |
[会長] 大倉さんは5代目の会長さんですね。 [大倉] そうそう。5代目と申しますけれど、3月から始まりましたから、第一回の今田さんが2回やっているんです。初代と2代と。3代が石束さん、その次が田中さん、それから私じゃなかったかと思うんですね。 [会長] 押さえつけたら反発するという、そういう気風が今でも続いている気がします。これはもうクラブの伝統ではないかと思うほどです。親睦も活発です。 [大倉] 今田さんはただ、飯くって帰るんじゃだめだと、それじゃ昼食会にすぎない。お互いにどういう人柄かもわかるような、そういう事でないといかんといって・・・。 [会長] メーキャップばかりの会員さんには何か、凧を贈ったという・・・・・・。 [大倉] ああ、あれね。1年に1ぺんです。他クラブへ非常に沢山出席した方、これはもう早く帰って下さいという意味で凧をわたすと。糸がついているから、こっちへひっぱりまっせと言うことでやりましたな。 [会長] 当時からユーモアがあったんですね。 [大倉] メンバーが若いのと、ちょっとこう茶目っ気があるというようなクラブでしたね。あんまりしゃちほこばった、固いクラブにしないでおこうと・・・・・・。 [会長] 松風さんが会長のときにですね、外国で2時間ほどジェット機に乗ってメーキャップに行かれた会員さんがおられました。この人に何か記念品を贈ろうということで、鏡を贈りました。ロータリーの鏡やからという事です。チャーターメンバーですからね、松風さんも。茶目っ気がありました。 [大倉] 当時はね、出席率が非常によくてね。私が会長のときも地区大会で誉められました。だけど200人も越えては無理でしょうね。出席率100%というのは・・・・・・。 [会長] 45年がすぎまして、50周年に向かっていくんですけど、キーメンの大倉さんとしてはどんなクラブに育っていって欲しいと思われますでしょうか。 [大倉] やはり今のままで発展していって欲しい。50周年私は自信ありませんけどね。先程申しましたようにユーモアのあるね、あんまりかちかちのクラブじゃなくて、活動を積極的にやって頂くというような事でやってもらえれば非常に結構でないかと思います。 [会長] 勉強もしながら楽しもうということでよろしゅうございますか。 [大倉] いやいや結構ですね。 [会長] 時間が参りました。今日は大倉さん、貴重なお話を有り難うございました。 [大倉] どうも皆さん失礼をいたしました。 |
「茶目っ気のあるクラブでね」 | 「花の前に座るのは久しぶり」 |