6月表紙 田植祭

6月10日、伏見稲荷大社のご神前に日々供饌される、ご料米の稲穂を新田へ植えるお祭りです。本殿の祭典に引きつづき、稲荷山の麓にある神田において、平安朝のかざみ装束を身につけた神楽女が雅やかな「田舞」を奉納する中、茜だすきにすげ笠姿の早乙女ら30名程がおごそかに田植えを行い、今年の五穀豊穣を祈り

 

5月表紙 降誕会(ごうたんえ)

浄土真宗の開祖親鸞聖人のご生誕を祝う親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)といいます。親鸞聖人は、平安時代の末期、承安3年(1173年)4月1日(太陽暦5月21日)、京都の東南にあたる日野の里(現在の京都市伏見区醍醐)で誕生されました。きらびやかな王朝時代から武家時代への転換期に活動し、後の浄土真宗の礎を作った宗教家です。一行寺では老若男女のご縁のある方が集い、ただ親鸞聖人の誕生日をお祝いするだけでなく、生まれがたい人間に生まれさせていただいたことを喜びお祝いする様々な行事をされています。

写真 那須 信孝 会員

 

4月表紙 豊太閤花見行列(ほうたいこうはなみぎょうれつ)

慶長3年(1598年)の春、太閤・秀吉が行った「醍醐の花見」は、豊臣秀頼、正室・ねね、側室・淀をはじめ、豊臣家に仕える女房衆(にょうぼうしゅう)などおよそ1300人を従えての、秀吉最後の栄華を極めた宴(うたげ)でした。この一大イベントを行うにあたり、秀吉は金堂の移築をはじめ、大規模な醍醐寺の再興を行いました。この行事に習い、毎年4月の第2日曜日午後1時から「豊太閤花見行列」が催されます。今日では、地元の財界など著名人が秀吉に扮し、数百人を従えて行列を行います。大勢の観光客やマスコミが集まり、秀吉が好んだ華やかな行事として生き続けています。

写真提供 醍醐寺

 

3月表紙 流しびな

ひな祭りは、3月3日の節句に女の子のいる家では、ひな人形を飾るなどして女の子の成長を祈るお祭りとして知られています。この日、下鴨神社では編んだわらにひな人形を乗せ、境内を流れるみたらし川に流して、子どもたちの無病息災を祈ります。ひな祭りには、もともとケガレをひなに託して祓うという意味がありました。現在ではひな壇に飾って祝うのが一般的となりましたが、今でも地方によってはひなを川に流す風習が残っています。流しびなの多くは、ひな飾りとは対照的に、色紙などで作った極めて質素な男女2人の雛が用いられています。

 

2月表紙 五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)

毎年2月23日醍醐寺で行われ、醍醐の「五大力さん」として親しまれている法要です。千百年あまりの歴史があり、醍醐寺開山以来綿々と続く京都にあっても歴史的、伝統的な法要と言えるものです。上醍醐(かみだいご)の五大堂(ごだいどう)に祀られている五大明王の功徳をたたえ、国の安泰と万民の豊楽を祈るものです。この日だけに授与される、「五大力尊御影(ごだいりそんみえい)」は災難、盗難よけのお守りとして古くから広く信仰されています。法要にちなんで行われる巨大な鏡餅上げは、信徒が奉納した五大力餅を(紅白重ねで、男性用150kg、女性用90kg)を持ち上げ、その持続時間を競う力比べです。毎年大勢の参拝者の見守る中、大いに盛り上がる行事です。

写真提供 醍醐寺

 

1月表紙 伏見稲荷大社 大山祭

1月5日に行われる伏見稲荷大社の神事で、注連張(しめはり)神事ともいわれています。その昔、稲荷山山上に御膳谷に御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、お祭りには御饌石(みつけいし)と呼ばれる霊石の上に神饌をお供えしたという故事に基づいて行われているものです。本殿祭の後、宮司以下、祭員、参列者は揃って、御膳谷へ向かい、斎土器(いみどき)と呼ばれるかわらけに中汲酒(なかくみざけ)を盛ったものを御饌石の上に供えて、五穀豊穣と家業繁栄を祈る神事が行われます。引き続いてその場で直会(なおらい)を行い、一同「ひかげのかずら」を首にかけて、七神蹟を巡拝します。お神酒を入れた土器は、招福の御利益があるとされ、井戸に入れると水質が良くなり酒が腐らないとして、とりわけ酒造家が喜んで持ち帰ったそうです。

写真提供 中村 陽 会員

 

12月表紙 除夜の鐘

除夜の鐘は12月31日、大晦日の夜に各寺院でつかれる鐘のことで、1年間の煩悩を払いのけることを目的に行われます。私たちが持つといわれる108の煩悩にちなみ、108回つかれます。とりわけ知恩院の除夜の鐘は有名で、高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トンと、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ日本三大梵鐘とよばれています。その大きさから、つくのも大変な作業で、親綱を引く僧侶と16人の僧侶が子綱を共々に握り「えーい、ひとつ」「そーれ」の掛け声のもと一打一打鐘がつかれます。この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(ぎょきだいえ・4月)と大晦日の除夜の鐘だけです。

 

11月表紙 曲水の宴(きょくすいのうたげ)

鬼門封じで有名な城南宮の神苑、平安の庭・楽水苑で行われる行事で、「ごくすいのえん」ともいわれています。色とりどりの狩衣・小袿(かりぎぬ・こうちき)といった、平安貴族の衣装を身にまとった七人の歌人が遣水(やりみず)とよばれる小川に沿って座り、上流に控えた水干姿の童子が朱塗りの杯にお酒をそそぎ、羽觴(うしょう・おしどりの姿をかたどった杯台)の背に乗せて流します。歌人は、その日の題にちなんだ歌を詠み、取り短冊にしたためます。そして、流れてきた羽觴をとり、杯のお酒を飲むという儀式です。これは、古代中国の周王朝の時代に起源といわれ、日本では平安時代の朝廷で三月上巳に三公九卿(太政大臣などの高官)により行われていたようです。雅楽が流れる中およそ一時間、王朝のゆったりとした雅やかなひとときを楽しむことができます。尚、曲水の宴は春は4月29日、秋は11月3日に開催をされています。

写真提供 鳥羽禮自 会員

 

10月表紙 時代祭

時代祭は、葵祭、祇園祭とともに京都の三大祭りとして知られています。明治28年(1895年)平安遷都1100年の年に記念事業として「第四回内国博覧会」が開催され、平安神宮もその一環として創建されました。そして平安遷都1100年記念祭が盛大に行われ、その祝賀行事として幕末維新から平安時代の時代風俗行列が企画されたのが始まりとなりました。このころは、琵琶湖疏水開通や蹴上発電所の完成、チンチン電車の開通など京都の復興をかけていた時代でもありました。以後、紫式部や清少納言といった有名婦人列ができたり、坂本龍馬や高杉晋作らの維新志士列などが加わるなど、今では、勤王維新隊を先頭に時代を遡りながら、参加者数2000人、行列の長さ2kmという大絵巻となっています。ちなみに、祭りが行われる10月22日は、桓武天皇が長岡京から平安京へ移られた日であり、いわば京都のお誕生日にあたります。

 

9月表紙 重陽の節会(ちょうようのせちえ)

古くから伝わる五節句の一つで、9月9日がそれにあたります。中国の陰陽五行思想では、奇数を陽数と呼び縁起が良いとされ、その最も大きな9が重なる(重陽)ことから、大変おめでたい日として重んじられてきました。また、菊花の節句とも呼ばれ、平安初期より宮中の女官たちは※被綿(きせわた)で体をぬぐったり、庶民の間では菊花酒で祝うなど、多くの風習や習慣がありましたが、明治以降は急速にすたれていきました。西京区にある、十三参りのお寺としても有名な法輪寺では、菊慈童像に菊花をお供えして供養し、菊にちなむ謡や仕舞が奉納されています。今では、9は苦に通じるとして、縁起の悪い数字とされていますが、昔は全く正反対だったようです。時代によって、縁起そのものも変わってしまうようです。

※9月8日に菊の花を真綿でおおって菊の香を移し、その翌日(9日)の朝の露で湿った

 

8月表紙 大文字五山送り火

京都に夏の終わりをつげる「大文字五山の送り火」は、毎年8月16日に盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事として行われているものです。左右の「大」「妙法」「舟形」「鳥居形」とそれぞれの形に火床を設け、午後8時に右の大の字から順にお精霊(しょうらい)の送り火として点火されていきます。これは、松明の火を空に投げあげて霊を見送るという風習から、山に点火するようになったといわれています。その歴史は、仏教が庶民に浸透していった室町期以降と考えられていますが、はっきりとはわかっていません。文献によると万治元年(1679年)の「落陽名所集」に初めて見ることができます。そのころには、「い」や「一」「蛇」「竹の先に鈴」「長刀」といったものもあったようです。点火される護摩木に名前を書いて志納すると厄よけに、水やお酒の入った丸い盆に送り火を映して飲むと中風よけになるなど、宗教行事としての本来の姿も綿々と受け継がれています。

 

7月表紙 京都の夏を勇壮に雅やかに盛り上げる町衆の祭り

祇園祭

日本三大祭のひとつとして数えられ、京都を代表する祭りでもある祇園祭。本来は祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、平安期(869年)に流行した疫病の退散を願い、矛66本を立てたのが始まり。天禄元年(970年)以降は毎年行われるようになり、徐々に手で掲げていた矛が台や車が付いた鉾となり、作り山(現在の山の起源)が行列に加わるようになった。祭りの中心も田楽や御輿などから山鉾に移り、その数も増えていった。応仁の乱で一時行われなくなったが、乱後1496年に再興の気運が高まり、その頃から官祭的な行事ではなく、現在のような町衆の手による祭りとして親しまれてきた。祇園祭は祇園囃子が流れる16日の宵山、勇壮な辻廻しが見所の17日の山鉾巡行が有名だが、実は7月1日から約1ヶ月間もわたり行われている大規模な祭り。一日の各山鉾町で行われる吉符(きっぷ)入りに始まり、巡行する山鉾の順番を決めるくじ取り式や、長刀鉾の稚児が八坂神社で『お位』をもらい神使いになる稚児社参、御輿を鴨川の水で清める御輿洗いなど町のあちこちで色々な祭事が催されている。7月の声を聞くや否や、町は祇園祭一色となり一年で最も賑々しい雰囲気に包まれます