7月号
亀屋陸奥 京都市下京区
京都南ロータリークラブ第43代会長
株式会社 亀屋陸奥 代表取締役会長
大塚經雄
(京都南RC)
代表銘菓「松風」
室町時代中期、初代大塚与衛門春秀が山科本願寺の寺内町に住み、本願寺の御供物や様々なご用を承っていたのが弊舗の始まりで、創業は応永28年(西暦1421年)と伝えられている。元亀元年(西暦1570年)に始まった石山本願寺と織田信長の戦いで、第11代宗主・顕如上人率いる本願寺勢が籠城を強いられる中、三代目大塚治衛門春近が兵糧代わりに考案したのが弊舗の代表名菓「松風」(写真)の始まりとされ、顕如上人の詠まれた歌から銘を賜わった菓子です。小麦粉・砂糖・麦芽飴・白味噌を混ぜて自然発酵させた後、ケシの実を振りかけて焼いている。屋号の由来は、江戸時代、豊臣秀吉が聚楽第の池に浮かべて興じたという木彫りの亀「聚楽亀」を拝領し、また「陸奥大掾」の御宣旨を賜わったことからつけられた。
8月号
むかし吉備団子 岡山市中区藤原
株式会社 廣榮堂 代表取締役社長
武田浩一
(岡山RC会員)
むかし吉備団子
廣榮堂は、もとは広瀬屋という7代ほど続いた瀬戸物屋の後を継ぎ、安政3年(1856)に菓子屋に商売替えしたのが始まりです。廣榮堂のきびだんごは、初代・武田浅次郎によって現在とほぼ同じ製法に完成いたしました。さらに浅次郎は、池田藩の筆頭家老で武家三茶人のひとり、伊木忠澄(三猿斎)に指導を賜りながら改良を重ね、池田藩主より「岡山を代表する銘菓」とお墨付きを頂きました。
むかし吉備団子のもち米は、昔から「政所(まどころ)もち」と呼ばれる、もち米の産地で有名な岡山市高松地区で栽培されたものです。生産農家と契約して栽培した上質で希少なもち米を一晩水でねかせて石臼で挽き、ひとつひとつ丹精込めて調製いたしました。自然の風味をそこなわないよう極上の素材を厳選し、あっさりとした甘さに仕上げたむかし吉備団子。創業時の手作りの味にこだわった逸品です。
9月号
山川 島根県松江市
有限会社 風流堂 代表取締役
内藤 守
(松江RC会員)
山川
島根県松江市は開府400年の城下町、今でも古いしきたりや伝統が生活に息づいています。その一つは一般の人がお抹茶を日常の生活の中で、ごく普通にたしなみ、そのためお菓子も多彩です。この伝統は7代目藩主、松平治卿(号不昧)の影響かと思われます。松平不昧公(1751〜1818)は当代一の茶人でしたが、風流堂の「山川」は公のお好み菓子の代表的なものでした。その後長く廃れていましたが、大正時代に町衆の勧めにより、私の祖父が復活し現在に至っております。
山川は紅白になっていますが、「赤」は紅葉の山を、「白」は川を表し、山川を表現した打菓子です。お抹茶の風味を生かす伝統の銘菓としてお引き立てを頂いております。さて私は風流堂の四代目。大学を出て家業に入り50年、ロータリー歴も35年を超えました。これからも「山川」のような伝統商品を大切にしながら職業奉仕に専念致す所存です。
10月号
雁の山 長野県小布施町
株式会社 小布施堂 代表取締役社長
市村次夫
(長野RC会長)
雁の山
小布施の町は江戸時代から栗の名産地として知られていました。そんなことから小布施堂は、創業1755年(宝暦5年)の酒造業「桝一市村酒造場」の新規部門として栗菓子の製造を始め、大正12年(1923年)に分離独立会社として設立されました。近年は小布施が観光客の訪れる町になって参りましたので、それに伴い、小売りや飲食などに力を注いでおります。そうした中で、小布施においでいただかないと味わえない栗菓子や季節が限られる栗菓子なども多々ご用意させていただいております。
この「雁の山」は限定的という意味では代表的な栗菓子で、10月に弊堂本店のみでご賞味いただけ、お持ち帰りは出来ませんという商品でございます。裏ごしした栗を空に、小豆餡を小布施の里山「雁田山」に見立てて、銘もそれに因みました。10月に信州へおいでの折りは雁の山をお試しください。
11月号
軽羹 鹿児島市金生町
合名会社 明石屋菓子店 会長
岩田泰一
(鹿児島西RC)
軽羹
安政元(1854)年創業。幕末の名君の一人とされる島津斉彬公は、当時江戸で評判だった播州明石出身の菓子匠・八島六兵衛の類い稀なる菓子作りの技量を評価し、国元の薩摩に招き入れました。六兵衛は、薩摩藩御用菓子職人として「明石屋」と号しました。以来、160有余年・7代に渡り明石屋は、鹿児島で菓子屋を続けて参りました。代表銘菓「軽羹」は、自然薯・米粉・砂糖を煉って蒸し上げた菓子です。初代六兵衛が、この地の山芋が良質な事に着目し改良を重ね作り上げました。軽羹の原料「自然薯」は、良質なタンパク質、ビタミン、ミネラル、消化酵素のアミラーゼ、アルギニン等の強壮作用のある酵素を多分に含む健康食品です。明石屋の軽羹は貴重な自然薯を職人が深山より掘り出し高品質のものを厳選し使用しています。滋養たっぷり薩摩伝統の御菓子です。
12月号
乃し梅 山形県山形市
乃し梅本舗 佐藤屋 代表取締役社長
佐藤松兵衛
(山形RC)
乃し梅
山形市は400年の昔、最上義光公が五十七万石を築いた城下町。
最上家改易後は城主が12家も変遷したものの、京・大坂や江戸と交流する商人を中心に栄えてきました。佐藤屋は文政4年(1821)に創業、代々佐藤松兵衛を名乗り七代を数えます。乃し梅は山形で産する大粒の完熟した梅と、砂糖、寒天、水飴を原料とし、天然の竹皮ではさんだお菓子です。乃し梅のルーツは山形藩の御典医が長崎で中国人から教わった梅の薬といわれ、長年にわたる試行錯誤によって現在のような形に至っております。世に甘いお菓子は数々あれど、すっぱいお菓子は珍しいといわれます。「梅はその日の難をよけ」、みちのくの甘ずっぱい味と香りをお楽しみください。
1月号
清浄歓喜団左角 京都市東山区
株式会社 亀屋清永 代表取締役社長
前川清昭
(京都南RC)
清浄歓喜団左角
弊社の創業は元和三年(一六一七年)、屋号を亀屋、名を治兵衛と申し、畏くも禁裏御所御膳所をはじめ諸藩諸候、社寺佛閣に出入を差許され、代々、その努力功績に依りまして和泉大掾の称号を賜りました。明治維新の変革に依りまして亀屋清永と改称致し、伝統の継承と絶えざる努力を重ね、今日に至って居ります。
弊店の代表銘菓子である「清浄歓喜団」は、奈良時代に遣唐使によって仏教とともに伝わった唐菓子の一種で、千年たった今も、昔の姿をそのまま伝えています。
白檀、桂皮、丁字など仏教で言う「清め」の意味を持つ7種類のお香をこし餡に練りこみ、米の粉と小麦粉で作った皮で包み、上質の胡麻油で揚げています。八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、形は金袋になぞらえています。
弊店は、その秘法を比叡山の阿闍梨(あじゃり)より教わり、精進潔斉の上、月に一日と十五日を中心に調製しています。千年の歴史の味をぜひご賞味ください。
2月号
小男鹿(さおしか) 徳島県徳島市
小男鹿本舗 冨士屋 代表取締役
喜多義祐
(徳島RC)
小男鹿(さおしか)
明治維新のさなか、明治3年(1870)、喜多家十代目喜多傅之助則貞が創業。
明治2年徳島藩主蜂須賀茂韶公に従い、江戸から徳島に移る。傅之助は茶人で、菓子に少しは詳しく、「江戸餅」と号して、餅屋を始めた。その後、やがて銘菓「小男鹿」が生まれる。小男鹿とは牝鹿のことで、万葉のころから、みやびの人々によって、和歌に歌われてきた。銘菓「小男鹿」は、その様な牝鹿をお菓子で物語ったものです。最上質の山芋や阿波特産和三盆糖、小豆や粳米を主原料として、伝統の手法で練り上げたもの。小豆がピンク色に染め、大納言が鹿の子斑の模様を表し、清楚な牝鹿の姿が愛らしく語りかけてきます。佳味幽玄にしてゆかしき風味、これこそ稀に見る日本の味、風雅な和菓子の味です。しっとりとした舌触りと鹿の子斑の肌模様につい微笑が湧いてきます。点茶一服お楽しみください。
3月号
柏屋薄皮饅頭 福島県郡山市
株式会社 柏屋 代表取締役社長
本名善兵衛
(郡山RC)
柏屋薄皮饅頭
柏屋の初代 本名善兵衛は、「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」として、お菓子の修行に京都へ行きました。
そして、NHK大河ドラマ「八重の桜」の新島八重が会津で産声をあげた七年後の嘉永五年(1852年)、奥州街道の宿場町・郡山宿で習得した饅頭をつくりました。東北地方では当時、皮が薄く、こしあんがたっぷり入った饅頭はめずらしく、瞬く間に街道の名物となりました。これが柏屋薄皮饅頭の誕生です。以来160余年、いつの時代も、その時代・風土にあったおいしさを提案し続けております。
北海道産の小豆と柏屋の職人の技から生まれる柏屋薄皮饅頭の餡は、上品でなめらかな「こし」と、小豆本来の素朴な風味の「つぶ」の2種類、どちらも素材のおいしさが凝縮された柏屋自家製餡。自信を持っておすすめする味わいです。
4月号
炉ばた 秋田県秋田市
株式会社 かおる堂 代表取締役社長
藤井 明
(秋田東RC)
炉ばた
秋田地方に古くから伝わる、小豆粉と和三盆糖で作る打ち菓子「諸越」(もろこし)は、300年前、秋田藩(久保田藩)の初代藩主、佐竹義宣が「諸々の菓子を超えて風味よし」と絶賛したことから名がついた郷土菓子でございます。
かおる堂は、秋田諸越の専門店として大正11年(1922)に創業。
「炉ばた」は一口諸越として「白」、「抹茶」、小豆を軽く焦がした「焦がし」、焼き色をつけた「焼き」の4種類の風味をお楽しみいただけます。包みを開けると、なまはげ、箱ぞり、米俵に雪踏み童女など、秋田の風物詩をかたどった12種類の愛らしい姿があらわれ、目でも楽しめる秋田県の代表銘菓としてご好評を頂いております。
5月号
羽二重餅 福井市
株式会社 羽二重餅總本舗 松岡軒 代表取締役
淡島 洋
(福井あじさいRC)
羽二重餅
福井市は、徳川家康の二男、結城秀康が築いた城下町です。
明治20年に村野文次郎翁が初めて高級絹布『羽二重』を織られた織物の産地として栄えました。松岡軒は明治30年に創業し二代目淡島恒が明治38年10月20日に『羽二重餅』を考案し命名した。
羽二重餅はまさにその名のとおり、絹布羽二重のハダざわりそのままにきめ細かく、いかにもやわらかで、しかもあの絹のもつツヤ少しカゲリのある淡い白さ、そして手に取ればヒラヒラしたしなう薄さの高級な和菓子です。
国産の餅米を使用し、ビートグラニュー糖、水飴を主原料とし、白い粉は馬鈴薯澱粉です。他に一切添加物は使用しておりません。どうぞ、お楽しみください。
6月号
カステラ 長崎県長崎市
株式会社 カステラ本家 福砂屋 代表取締役社長
殿村育生
(長崎RC)
カステラ
福砂屋は、寛永元年(1624年)の創業以来、長崎カステラの製法を永々と家伝継承しております。
弊社には創業以来、一貫して不変のものがあります。手づくりによる製法です。その手づくりの支柱となるのが、職人の「手わざ」です。永い時の積み重ねのうちに鍛え抜いて会得した技術が継承されています。
弊社は、卵を白身と黄身に分け、まず白身を十分に泡立てる古来継承の「別立法」を確立し、「手わざ」による古法を育成すべく、カステラ本家として創意工夫につとめております。カステラ文化の創造・普及・発展を使命とし、お客さまの生活の中で心と心を通い合わせるものとしてお役に立てることを願っております。
これからも、真心のこもった手づくりならではの伝統の味わいをお届けしてまいります。
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