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■うなぎ包丁(3月4日 週報No.32)
包丁は、数多く種類がありますがその中でうなぎ専用の包丁があります。その中で左にあるのが、江戸びらき用の包丁でうなぎの背びれの方からひらくように作られています。右にあるのが、京びらきの包丁で腹の方からひらく用に作られています。この他にも、大阪包丁、名古屋包丁などがあります。地方によって背びらき、腹びらきの違いがあり又包丁の違いがあるのは、うなぎぐらいではないでしょうか。
藤居久士
■40年来の夢の実現(3月11日 週報No.33)
十歳位から既に実車をいじっていました。時代は軽四やパブリカが普及し始めた頃、欧米では一家に一台が当り前でした。英国ではバックヤードビルダーが裏庭で寄集めの部品から小型スポーツカーを作り、彼等の中からロータスの様なメーカーも生れました。当時私は大学に入って車検不要の軽四の部品を自作の車体に組込んだ車を作るのが夢でした。国立に落ちて夢を果たせずに最近迄忘れていました。
写真は数年前から気懸りだった光岡のキットカーK3。排気量は50cc、半年程かけて完成、合法的に公道を60キロで走れます。
木下公一
■掛時計(3月18日 週報No.34)
うちの会社の店頭にある掛時計です。 この時計がかかっている建物は昭和元年の新築ですので、それから80年以上もお客様と社員を見続けてきたことになります。「SEIKOSHA」とありますので調べましたら、服部時計店が明治43年に登録した商標であることがわかりました。今の「SEIKO」ですね。もちろん現在でもキチンと時を刻んでいて、「ぼ〜ん、ぼ〜ん」と何とも言えない味わいのある音色が店内に響きます。やはり「本物」は長く残っていくのだと、この時計が教えてくれているような気がしてなりません。
若林智幸
■霊山観音鳥居(3月25日 週報No.35)
当クラブ会員なら、よくご存じの東山通に面し、ホテルりょうぜんさんに上がる道に立つ鳥居です。よく見ると、丸太足場の上で、太い丸太で組んだ三股を使い、石材をつり上げています。職人の服装は、法被に地下足袋、それぞれお気に入りの帽子をかぶり、命綱も使わず、おまけに立ち入り禁止処置もありません。現在なら、労働基準監督署から多くの是正勧告書をいただくような作業風景です。東面、北側に当社の社名が刻んであります。昭和十四年の施工で、手前に市電の石畳が見られます。
田伏裕一
■浄土曼茶羅(4月1日 週報No.36)
西方阿弥陀仏の浄土を描いた曼茶羅です。国宝・重要文化財の修理・保存、美術品の表装を手がける宇佐美直八氏の鑑定によりますと、鎌倉後期の時代のもので、京都以外の県なら重文に指定されるだろうとの事でした。私は美術品としてよりも、永い歴史の間に、素朴な信仰心で極楽浄土に生まれることを願い求めた数知れない人々のタマシイがこの曼茶羅に込められ、秘められた物語として伝えられている声なき声こそ宝物と感じるのです。
那須信孝
■自然の中に人によって作られた形(4月8日 週報No.37)
私の祖父〔弊社の先々代〕が昭和6年に〔満州事変や、翌年には西京極運動場野球場が出来た時代です〕富山県電力局から受注し工事した発電用のダム・導水管です。
工事現場は現在の富山市内から40キロ立山連峰方面に入った山の中です。当時は今のように工事現場に通じる道も整備されていない為に、資材搬入も獣道同様の山道を人の力が中心で運んだそうです。工事は難工事で京都から3人の番頭(現場監督)と現地で採用した下請け作業員500人達と同じ飯場生活で2年間の歳月で完成したそうです。当時の真新しいコンクリートも77年の時間と共に今は自然の緑と同化し、今も現役で発電した電気は北陸電力より周辺の人々へ供給されています。
市橋 尚
■創業者の思い出(4月15日 週報No.38)
私の母は平成8年8月、父が71歳の時に他界しました。以来、父は少しずつ体調を崩し晩年は車椅子のお世話になっていました。その父が喜寿を迎えた時に写真のレリーフを作りました。それを見て大変喜んでくれたことを思い出します。このレリーフは本社の役員会議室の壁に掛っています。そして、このレリーフの下に私の好きな言葉「過去に畏敬、現在に感謝、そして未来に責任」を付け加えました。いつまでもこの気持ちを大切にしたいと思います。
吉田典生
■コクサクレア(4月22日 週報No.39)
当社は現在は電設資材の商社であるが、昭和5年の創業から昭和20年頃までは照明器具のメーカーも兼ねていた。コクサクレアは小生の義父にあたる初代社長が九州小倉の東陶機器(現TOTO)に陶磁器で製作させ、京都の御幸町の工場で組立て、全国に販売し相当売れたようだ。
ブラケット、シーリング、チェーン吊りなどがあり、ガラスグローブやセード付きなどもあった。
市内でも京都市役所の入口のブラケット、東華菜館のチェーン吊り、大建ビル(現丸紅)全館照明器具など納入事例は多いが、現在残っているのは300年の伝統を誇る太夫の置屋で有名な島原の輪違屋の廊下にある小型ブラケット(写真)のみである。
蔵岡一彦
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